富士工業のG・W休暇のお知らせ・・・・浜松と言えば浜松まつり!!
(*゚∀゚)っ[.+:。★富士工業 ゴールデンウィーク休暇のお知らせ★.+:。]
富士工業では、平成20年5月3日(土)〜平成20年5月6日(火)までゴールデンウィーク休暇を頂きます。
平成20年5月7日(水)より平常通り営業致します。
何かとご迷惑をおかけ致しますが、何卒宜しくご了承の程お願い申し上げます。
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あともう少し働けば、待ちに待ったゴールデンウィーク(〃^∇^)o彡☆という方たちが多いのではないでしょうか!?
厚生労働省の、全国の1,330事業場を対象とした「平成20年ゴールデンウィーク期間中における連続休暇の実施予定状況調査」では、今年のG・W平均連続休暇日数は5.0日とのことです。
最も長い連続休暇は11日とのことです。
皆様はどのくらいお休みがありますかぁφ(゚ω^* )??気分はウキウキ♪ですね♪
どこか旅行へ出掛けられたりするのでしょうねっφ(゚ω^* )♪
きっと予定が盛りだくさんですね♪
私は4日間ですぅ(。≧Д≦。)少なすぎですぅ〜(。≧Д≦。)
私の住んでいる浜松市では、ゴールデンウイークといえば浜松まつりです!!
そこで、少し浜松まつりについてご紹介したいと思います☆
浜松まつりとは
毎年5月3、4、5日に開催される浜松まつりは、100万人以上の観光客が訪れる日本有数のまつりとして知られています。
昼間は中田島砂丘で勇壮な凧揚げ合戦、夜は中心市街地で絢爛豪華な御殿屋台が引き回されるほか、郷土芸能や吹奏楽パレード、ミス浜松まつりコンテストなど、3日間楽しめるイベントが盛り沢山。
まつり期間中は町中が熱気と興奮に包まれます。
町民の声によって生まれた浜松まつりには、現在、市内170か町が参加、老若男女を問わず誰でも参加できる市民のまつりとして発展し続けています。
<子供の誕生を祝う「初凧」の伝統>
浜松まつりの特徴のひとつは、「都市まつり」ということ。
東京の天下祭りや京都の祇園祭と違って、神社仏閣の祭礼とは関係ない“市民参加”のまつりなのです。
浜松まつりの始まりは、一説によると今からおよそ430余年前の永禄年間(1558〜1569年)に、当時の浜松を治めていた引間城主の長男誕生を祝って城中高く凧を揚げたことが、凧揚げの起源であると言われていますが、記録としては定かではありません。
なお、記録に残っているものとしては、寛政年間(1789〜1800年)の記録に凧の記述がみられます。「遠州のからっ風」と呼ばれる強い風が吹くこの地は、気候的にも凧揚げに好条件であり、子供の誕生を祝う「初凧」の伝統は、浜松まつりとして現在までこの地に根付いています。
引馬城主飯尾豊前守に長子義廣公が誕生したときのことでした。
殿様の跡継ぎ誕生をお祝いしようと、入野村の住人、佐橋甚五郎の進言によって義廣公の名前を凧に記して城中高く揚げたのが始まりと言い伝えられています。
<初凧>
初凧とは、その家に長男が生まれると、町内の若者たちが、端午の節句に祝い凧を贈って揚げるという風習のこと。
江戸時代中期に広がったとも言われています。
現在の初凧には家紋と、子供の名前が入ります。
<初子の祝い>
夜、御殿屋台の引き回しが終わると、若衆たちは町内の初家(初子宅)に集まり、初子の誕生と成長を祝って激練り(初練り)を繰り広げます。
練りの迫力とラッパの音の大きさに、思わず泣き出してしまう初子も。
万歳三唱の後、初家は祝ってもらったお礼に、若衆連に料理と酒を振る舞います。
<凧揚げ合戦>
5月3日、午前11時。
開会式の花火の合図とともに、参加170か町の凧がいっせいに揚げられ、空は凧一色で埋め尽くされます。
続いて、激闘を鼓舞するラッパの音とともに数百人が入り乱れての凧揚げ合戦が始まります。
太さ5ミリの麻糸を互いに絡ませ、摩擦によって相手方の糸を切ることから「ケンカ凧」とも呼ばれます。糸と糸がこすれ合う焦げた臭いと砂埃が立ち昇ると、会場は熱気と興奮に包まれます。
浜松っ子の心意気が真正面から激しくぶつかり合う、これが伝統の凧揚げ合戦なのです。
<凧合戦の方法>
凧を合戦させる方法は2つ。
糸を上から乗せかける方法と、下からすくい上げる方法です。
互いに糸を絡めあい摩擦して相手の糸を切るのです。
戦法としては糸を早く出す法(ガラ)とゆっくり出す法、糸を早く引きよせる法(テギ)とゆっくり引き寄せる法とがあります。
糸の緩急で攻撃を避けたり、仕掛けたりしています。
<凧の大きさ>
凧合戦に使用する凧の大きさは、2帖から10帖までで、4帖から6帖が最も適しています。
1帖は美濃大判紙12枚で1.25m四方ですから、4帖は48枚で2.4m、6帖では72枚で2.9m四方。
10帖となると120枚で3.64m四方にもなります。
<凧の組み立て>
糸目が狂っていないかを見直し、風の強い時は小さい凧、風の弱い時は大きい凧にします。
<凧糸を結ぶ>
凧糸は糸目が絡まないように、そしてはずれないようにしっかりと結びます。
<御殿屋台引き回し>
凧合戦の興奮も冷めやらぬ夕暮れどき、浜松まつりの舞台は中心街へ。
ベテランの弾き手がつまびく三味線の音、きれいにおめかしした子どもたちの笛とお囃子を合図に、絢爛豪華な御殿屋台がゆっくりと動き出します。
各町それぞれが趣向を凝らした彫物や提灯で飾りつけられた豪華な御殿屋台は、祭典絵巻のような美しさで見る人を魅了します。
<おはやし>
御殿屋台の上で演奏されるお囃子も独特。
一般の地方のまつりと違って、歌舞伎囃子がそのまま演奏されているのです。
例えば、多くの町内で演奏されている「小鍛冶(こかじ)」「鞍馬山(くらまやま)」は、「セリ」と呼ばれる主役の登場場面の音楽。
歌舞伎や日本舞踊の公演でも同じ曲が演奏されます。
「楠公(なんこう)」、「四季の山姥(やまんば)」、「越後獅子(えちごじし)」、「花見踊」などその他の曲も同じです。
<練り>
町の旗を持った人を先頭に堤灯を持った人々がその後に続きます。
威勢のいいラッパと太鼓の音にすり足で「オイショ、ヤイショ」と掛け声をあげながらリズミカルに威勢よく進んでいきます。
あとは熱狂的に盛り上がり、押しくらまんじゅうのようにもみくちゃになりながら、汗だくになってまつりを楽しみます。
<激練り>
激練りは、大凧、御殿屋台と並ぶ、浜松まつりのもうひとつの顔。
凧場げ会場で繰り返されていた練りは、夜の屋台引き回しで最高潮に達します。
すり足で練り進む法被姿の一団が、うねりとなって「オイショ、ヤイショ」の掛け声とともに激練りを展開。華麗な御殿屋台の光に激練りの姿が幻想的に浮かび上がり、この瞬間、町は興奮の坩堝と化します。
浜松まつりの歴史
<江戸から明治へ 初凧・凧合戦もいよいよ本格化>
町民自らの手で生まれた浜松まつり。
それが、遠州地方が遠州灘から強い風が吹き、凧揚げには絶好の場所だったことと、東西の文化の合流地点だったことで、さらに盛んになっていきます。
それを支えたのも、やはり町民でした。
相良・横須賀・袋井など多くの凧がありますが、浜松は特に盛んです。浜松藩には24か町の職人の町があり、伝馬・塩・鍛冶・元魚・田・連尺・大工・紺屋・肴・旅籠・板屋等の町が、後の凧揚げの中心を担う町になったのです。
江戸時代に定着したといわれている浜松まつりは、明治に入ってさらに活気を帯びてきます。
今では浜松まつりに欠かせない初凧・凧合戦が本格化したのも明治20年頃で、長男が生まれたらその子の成長を願って凧を揚げる初凧の風習は、遠州地方に広がっていきました。
<大正初期には和地山練兵場で、大凧合戦が!!>
こうして歴史を重ねる中、各町あちらこちらの広場で行っていた凧揚げを一か所にまとめようという気運が高まります。
最初は、鉄道工場建設予定地を借用して行うようになり、その頃から自主的な管理組織としての統監部が結成され次第に組織化されていきました。
こうした中で、大正8年4月26日に統監部が歩兵第67連隊を訪れ、和地山練兵場(現:和地山公園)を、凧合戦の会場にと申し入れます。
連隊側は、浜松出身の兵隊は商家の出が多く、全国的にも体格が劣っているので、男性的で活発な凧揚げが身体鍛える手段の一つを理由に練兵場の使用を許可したと言われています。
第二次世界大戦が始まる直前まで、毎年和地山の練兵場を舞台に、勇壮な凧揚げ合戦が繰り広げられました。
<終戦のわずか3年後に復活! 今でも成長し続けるまつり>
そして第二次世界大戦終戦。
焼野原となった浜松が復興への足どり を刻み始めたばかりの昭和23年、浜松まつりは凧揚げ会場を一時的に中田島に移し、浜松市連合凧揚会主催で第1回の凧揚げ合戦が、城下町24か町を中心に、50か町余の参加を得て盛大に開催されたのです。
そして昭和25年には、市民あげてのお祭りにとの願いを込めて内容、組織も充実。
名称も「浜松まつり」と変え、その後、浜松市自治会連合会、浜松市観光協会(現:(財)浜松観光コンベンションビューロー)、浜松商工会議所、浜松市の四団体の構成による浜松まつり本部が組織され、今日に至っています。
戦前は、40から50か町の参加で開催されていたのが、近年では160を超える町が参加し、そして夜のご殿屋台の引き回しに100を超える町が参加しています。
また、中断していた高校生の参加も平成5年度から復活。
文字通り子供からお年寄りまで、また男女を問わず参加できる市民あげてのお祭りとして、今でも成長し続けています。
以上が浜松まつりについてのご紹介です(〃^∇^)o彡☆
皆様もゴールデンウイークに浜松に立ち寄ることがございましたら、是非!!浜松まつりを堪能していって下さい♪
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| 2008年04月24日 | このページのURL | コメント (0) | トラックバック (0) | 001004|etc|その他