2017年10月
☆浜松市でも歌舞伎が見られる!!☆
日本の伝統芸能は何?と聞かれれば、多くの人が答えると思われる『歌舞伎』。
でも実際は、直接伝統芸能を観たことのある人は5%程度しかいません。
そのような身近ではない思っていた『歌舞伎』が、先日、浜松市でも見られることを知り、非常に驚きました。
歌舞伎を少しでも興味のある方は、是非参考にして頂ければと思います。
そもそも歌舞伎とは、日本の古典演劇の一つであり、せりふ,音楽,舞踊の各要素が混然一体となった総合芸術として、400年の歴史を持つ日本の伝統芸能です。
鎌倉・室町時代に大成した能楽、江戸時代に大成した人形浄瑠璃と並んで、三大国劇と呼ばれており、1965年国の重要無形文化財に指定され、2009年に世界無形遺産として認定されたこともあり、国内外の関心が非常に高まっています。
諸説ありますが、名前は「傾く(かたむく)」の古い言い方である「傾く(かぶく)」から「カブキ」という名前が定着したと言われており、もとは戦国時代辺りから流行り出した、派手な衣装を好む者や常識を逸脱したような奇怪な行動を「傾奇(かぶき)」と呼ばれていたのが(また、そのような振る舞いを嗜む者を「かぶき者」と呼んでいた)、やがて1603年にそうした装いを取り入れた当時としては、斬新極まる踊りを「かぶき踊り」として出雲阿国が北野天満宮で始めたのが、歌舞伎のル−ツとされています。
その後、「歌い舞う芸妓」という言葉からかぶきの字も『歌舞妓』と当てられるようになり、やがて遊女歌舞伎が禁止されると「妓」の字は使われなくなり「歌舞伎」という名称が定着し、江戸時代は双方の名称が混同されて用いられていたのが、明治時代以降に現在の「歌舞伎」の名称で統一されていったと言われています。
歌舞伎は日本各地で公演されており、東京の歌舞伎座では年間を通して公演されていることは、良く知られていますが、浜松市でも歌舞伎を見られる機会があります。
浜松市で見られるのは、農村歌舞伎と呼ばれるもので、江戸〜明治時代の農村での数少ない娯楽として流行っていた、農民が演じていた素人歌舞伎が、現在に至るまで脈々と継承されています。
◇浜松市に残る、農村歌舞伎
『浦川歌舞伎』(佐久間)
150 年前、この地での公演を最後に病死した江戸時代の歌舞伎役者の尾上栄三郎を偲んで上演されてきた農村歌舞伎です。
昭和30年代から一度途絶えていました が、平成元年に浦川歌舞伎保存会が結成され復活しました。現在も保存会により継承、上演されています。
『横尾歌舞伎』(引佐)
江戸時代以来絶えることなく伝承されてきた、全国的にも貴重な農村歌舞伎です。
引佐地域では、江戸時代中期から盛んに農村歌舞伎が行われていましたが、現存では横尾歌舞伎が唯一その伝統を守り、静岡県の無形民俗文化財に指定されています。
横尾歌舞伎は、役者から義太夫、三味線、裏方まで全て地元の人たちで作られており、江戸〜明治期から引き継がれてきた数多くの台本や衣裳、道具類が今もなお保存され使われています。
『雄踏歌舞伎』(雄踏)
江戸時代末期に、雄踏地域の村祭りの余興として招いた歌舞伎一座から芝居を教わった村人達が始めたのが、この地域に伝わる「万人講」でした。
昭和27年の舞台を最後に途絶えていましたが、雄踏歌舞伎保存会が結成されたことにより、平成2年に38年ぶりに復活しました。
現在も保存会の人達により、「定期公演」や「子ども歌舞伎教室」などの活動を通して、ふるさとの伝統芸能としての理解が広められ継承されています。
投稿者:Y.F
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2017年10月03日 | このページのURL | コメント (0) | トラックバック (0) |