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「心と体をリフレッシュ!陸上魂で挑んだ奥穂高岳」
こんにちは。今回は、ずっと憧れていた「奥穂高岳」に登ったときの体験を綴ってみたいと思います。
「学生時代の原点 ― 箱根駅伝を3回走った日々」
実は私は学生時代、箱根駅伝を3回走った経験があります。
あの20km以上の区間を、仲間と共に襷を繋いでいく競技。その舞台に立つために、365日すべてが「走るため」に費やされていました。
朝はまだ暗いうちからのジョグ。授業の合間の補強。夏の地獄の合宿。
何度も心が折れそうになりましたが、それでも諦めなかった。襷を受け取った瞬間、全身に電気が走るようなあの感覚は、今でも忘れられません。
あのとき鍛えた体力と精神力・・
それは、ただ「走るため」だけではなく、今回の奥穂高岳挑戦のように、人生のさまざまなチャレンジを支えてくれる大きな財産になっています。
「登山のきっかけは、ふとした衝動から」
登山を始めたのは、今年(2025年)の5月。最初に登ったのは八ヶ岳の「赤岳」でした。
SNSで見かけた綺麗な山の写真に心を奪われ、気づけば登山靴を買っていました。
初心者にはハードルが高かった5月の赤岳。残雪が残る登山道で、足を取られ、いきなり穴にハマったりもしました(笑)。
朝7時から登り始めて、下山は16時過ぎ。翌日は全身筋肉痛。特に膝上の大腿四頭筋は悲鳴を上げ、会社の階段すら登れない状態。でもそれ以上に、山頂から見えた富士山やアルプスの山々の姿が心を打ちました。
「これは…陸上とはまた違う達成感だ」
心に火がついた瞬間でした。
「登山と駅伝、驚くほど似ている」
山に登るほど、あることに気づきました。
それは、登山は駅伝と同じくらい「自分との戦い」だということです。
駅伝は、自分の区間を命懸けで走り切り、仲間へ襷を繋ぐ競技。走り出したら止まれない、あの緊張感。ペースを保ちつつ、風、気温、勾配、すべてを読みながら走り続ける集中力。
登山も同じです。山道は思ったより遥かにキツく、自然は予想を超えてくる。気力が削がれそうな急登や、心が折れそうな長い稜線・・そんなときに踏み出せるかどうか。それがすべて。
駅伝で学んだ「ペース配分」「呼吸」「心を切らさない技術」が、ここでも大いに活きています。
「憧れの山々を経て、ついに奥穂高岳へ」
赤岳のあと、山への情熱は加速していきました。時間があれば山に登り、休日はもっぱら登山靴。
木曽駒ヶ岳:アルプス入門にぴったり。千畳敷カールの美しさに感動。
焼岳:生きている山。地球のエネルギーを感じる活火山。
立山三山:風と雲のダイナミックな変化に翻弄されながらも達成した縦走。
乗鞍岳:比較的楽に登れるが、雲海とご来光の美しさは別格。
そして、ついに「奥穂高岳」へ挑むことに。
「上高地から涸沢へ・・五感が目覚めるアプローチ」
奥穂高岳へは、マイカー規制のある「上高地」からスタートします。
朝、沢渡の駐車場に車を停め、バスで向かう道中からすでにテンションは最高潮。バスの車窓から見える大自然に心が弾みます。
上高地バスターミナルに着いたときのあの空気・・澄みきっていて、静かで、どこか神聖な雰囲気すらあります。
梓川の流れも美しく、カメラを持ってきたくなるスポットだらけです。
河童橋 → 明神 → 徳澤 → 横尾
まではハイキング気分。初心者でも気軽に楽しめるコース。
しかし、横尾を過ぎた瞬間、空気が一変。涸沢に向かう登山道は急に険しくなり、息が切れるような坂が続きます。
約2時間かけて、ようやく「涸沢カール」に到着。テントが並ぶ光景と、夕暮れに照らされた穂高連峰が、まるで絵画のようでした。
「奥穂高岳アタック・・厳しさと美しさの共存」
翌朝3時、ヘッドライトを灯して出発。軽アイゼンを装着し、まだ雪の残る斜面を登っていきます。
この緊張感は、箱根駅伝のスタートラインに立つ直前に似ています。
自分の呼吸と心拍の音だけが聞こえる静寂の中、朝焼けが山々を染めていく。
あれは、一生忘れられない光景です。
奥穂高山荘に到着。ここから、いよいよ奥穂高岳の山頂アタック。
・鎖場
・垂直に近い岩壁
・細い稜線
集中力を切らしたら命に関わる。駅伝で鍛えたバランス感覚と冷静さが、ここで本当に役に立ちました。
そして、標高3,190mの山頂に立ったとき、ただ一言。
「ここまで来たんだな」
「想定外の西穂高縦走 ・ 自分の限界と向き合った6時間」
下山は前穂高を経由する予定が、ルートミスで西穂高方面に進んでしまったことに気づいたのは、もう引き返せない地点でした。
この西穂ルート、登山者の中でも「日本有数の難所」と呼ばれる厳しい縦走路です。
・馬の背
・ロバの耳
・ジャンダルムの横通過
・西穂高岳
落ちたら命はない。そう思うほどの岩場が延々と続きます。
この縦走は、駅伝で言えば「30km走を想定していたらウルトラマラソンだった」ような感覚。
水は残りわずか。疲労はピーク。精神力だけで歩き続けました。
「西穂山荘のコーラ、そしてゴール」
ようやくたどり着いた「西穂山荘」。
登山道に見えた赤い屋根が、人生で一番美しく見えたかもしれません。
自販機で買った冷えたコカ・コーラを飲んだ瞬間・・涙が出そうになりました。
「やり切った」という感情と、「生きてる」という実感が一気に溢れ出した瞬間です。
大正池まで下山し、バスに乗って帰る頃には、体はボロボロ。でも、心は晴れ晴れとしていました。
「登山と駅伝、ふたつの人生のレーン」
登山と駅伝。まったく違うようで、どちらも「自分との戦い」「挑戦」「限界突破」。
そして、どちらも人生を豊かにしてくれる時間です。
奥穂高岳は、自分にとってただの山ではなく、「自分を見つめ直す場所」でした。
「最後に」
奥穂高岳。そこは、ただ登るだけの山ではなく、「覚悟」が試される山でした。
駅伝ランナーが、今度は山を駆ける。
そんな新たなチャレンジを、これからも続けていきたいと思います。
富士工業便り_「心と体をリフレッシュ!陸上魂で挑んだ奥穂高岳」
2025年08月04日

こんにちは。今回は、ずっと憧れていた「奥穂高岳」に登ったときの体験を綴ってみたいと思います。
「学生時代の原点 ― 箱根駅伝を3回走った日々」
実は私は学生時代、箱根駅伝を3回走った経験があります。
あの20km以上の区間を、仲間と共に襷を繋いでいく競技。その舞台に立つために、365日すべてが「走るため」に費やされていました。
朝はまだ暗いうちからのジョグ。授業の合間の補強。夏の地獄の合宿。
何度も心が折れそうになりましたが、それでも諦めなかった。襷を受け取った瞬間、全身に電気が走るようなあの感覚は、今でも忘れられません。
あのとき鍛えた体力と精神力・・
それは、ただ「走るため」だけではなく、今回の奥穂高岳挑戦のように、人生のさまざまなチャレンジを支えてくれる大きな財産になっています。
「登山のきっかけは、ふとした衝動から」
登山を始めたのは、今年(2025年)の5月。最初に登ったのは八ヶ岳の「赤岳」でした。
SNSで見かけた綺麗な山の写真に心を奪われ、気づけば登山靴を買っていました。
初心者にはハードルが高かった5月の赤岳。残雪が残る登山道で、足を取られ、いきなり穴にハマったりもしました(笑)。
朝7時から登り始めて、下山は16時過ぎ。翌日は全身筋肉痛。特に膝上の大腿四頭筋は悲鳴を上げ、会社の階段すら登れない状態。でもそれ以上に、山頂から見えた富士山やアルプスの山々の姿が心を打ちました。
「これは…陸上とはまた違う達成感だ」
心に火がついた瞬間でした。
「登山と駅伝、驚くほど似ている」
山に登るほど、あることに気づきました。
それは、登山は駅伝と同じくらい「自分との戦い」だということです。
駅伝は、自分の区間を命懸けで走り切り、仲間へ襷を繋ぐ競技。走り出したら止まれない、あの緊張感。ペースを保ちつつ、風、気温、勾配、すべてを読みながら走り続ける集中力。
登山も同じです。山道は思ったより遥かにキツく、自然は予想を超えてくる。気力が削がれそうな急登や、心が折れそうな長い稜線・・そんなときに踏み出せるかどうか。それがすべて。
駅伝で学んだ「ペース配分」「呼吸」「心を切らさない技術」が、ここでも大いに活きています。
「憧れの山々を経て、ついに奥穂高岳へ」
赤岳のあと、山への情熱は加速していきました。時間があれば山に登り、休日はもっぱら登山靴。
木曽駒ヶ岳:アルプス入門にぴったり。千畳敷カールの美しさに感動。
焼岳:生きている山。地球のエネルギーを感じる活火山。
立山三山:風と雲のダイナミックな変化に翻弄されながらも達成した縦走。
乗鞍岳:比較的楽に登れるが、雲海とご来光の美しさは別格。
そして、ついに「奥穂高岳」へ挑むことに。
「上高地から涸沢へ・・五感が目覚めるアプローチ」
奥穂高岳へは、マイカー規制のある「上高地」からスタートします。
朝、沢渡の駐車場に車を停め、バスで向かう道中からすでにテンションは最高潮。バスの車窓から見える大自然に心が弾みます。
上高地バスターミナルに着いたときのあの空気・・澄みきっていて、静かで、どこか神聖な雰囲気すらあります。
梓川の流れも美しく、カメラを持ってきたくなるスポットだらけです。
河童橋 → 明神 → 徳澤 → 横尾
まではハイキング気分。初心者でも気軽に楽しめるコース。
しかし、横尾を過ぎた瞬間、空気が一変。涸沢に向かう登山道は急に険しくなり、息が切れるような坂が続きます。
約2時間かけて、ようやく「涸沢カール」に到着。テントが並ぶ光景と、夕暮れに照らされた穂高連峰が、まるで絵画のようでした。
「奥穂高岳アタック・・厳しさと美しさの共存」
翌朝3時、ヘッドライトを灯して出発。軽アイゼンを装着し、まだ雪の残る斜面を登っていきます。
この緊張感は、箱根駅伝のスタートラインに立つ直前に似ています。
自分の呼吸と心拍の音だけが聞こえる静寂の中、朝焼けが山々を染めていく。
あれは、一生忘れられない光景です。
奥穂高山荘に到着。ここから、いよいよ奥穂高岳の山頂アタック。
・鎖場
・垂直に近い岩壁
・細い稜線
集中力を切らしたら命に関わる。駅伝で鍛えたバランス感覚と冷静さが、ここで本当に役に立ちました。
そして、標高3,190mの山頂に立ったとき、ただ一言。
「ここまで来たんだな」
「想定外の西穂高縦走 ・ 自分の限界と向き合った6時間」
下山は前穂高を経由する予定が、ルートミスで西穂高方面に進んでしまったことに気づいたのは、もう引き返せない地点でした。
この西穂ルート、登山者の中でも「日本有数の難所」と呼ばれる厳しい縦走路です。
・馬の背
・ロバの耳
・ジャンダルムの横通過
・西穂高岳
落ちたら命はない。そう思うほどの岩場が延々と続きます。
この縦走は、駅伝で言えば「30km走を想定していたらウルトラマラソンだった」ような感覚。
水は残りわずか。疲労はピーク。精神力だけで歩き続けました。
「西穂山荘のコーラ、そしてゴール」
ようやくたどり着いた「西穂山荘」。
登山道に見えた赤い屋根が、人生で一番美しく見えたかもしれません。
自販機で買った冷えたコカ・コーラを飲んだ瞬間・・涙が出そうになりました。
「やり切った」という感情と、「生きてる」という実感が一気に溢れ出した瞬間です。
大正池まで下山し、バスに乗って帰る頃には、体はボロボロ。でも、心は晴れ晴れとしていました。
「登山と駅伝、ふたつの人生のレーン」
登山と駅伝。まったく違うようで、どちらも「自分との戦い」「挑戦」「限界突破」。
そして、どちらも人生を豊かにしてくれる時間です。
奥穂高岳は、自分にとってただの山ではなく、「自分を見つめ直す場所」でした。
「最後に」
奥穂高岳。そこは、ただ登るだけの山ではなく、「覚悟」が試される山でした。
駅伝ランナーが、今度は山を駆ける。
そんな新たなチャレンジを、これからも続けていきたいと思います。